「ブルーストッキングの女たち」を観た。

青年座の舞台、「ブルーストッキングの女たち」を観ました。とにかくこれは劇場で見たかったなあと、登場人物達の熱量も役者の方々の熱量もすごくてとにかくエネルギッシュな舞台でした。

 

明治の終わり、女性の解放と自由を求め社会に立ち向かう女性達と、その周りの人々の物語でした。平塚らいてうらが立ち上げた「青鞜社」に九州から彼女を慕い上京してきた伊藤野枝がやってくるところから物語は始まるんですけどね、あ、「青鞜」ってゆうのは、「ブルーストッキング」の和訳で、英国で生まれたんですけどなんですけどまあ、女性の地位向上のシンボルのようなものですね、ってゆうのが由来だそうで。

 

心に残るシーンは山ほどあるんですけど、特に覚えているのは割と冒頭です。

劇中で、青鞜社の面々が見に行った、イプセンの「人形の家」の一部がそのまま劇中劇として上演されるんですよ。人形の家のお芝居も初めて見たもんですからそれも面白くて見入ってしまったんですけど、その後、登場人物達が、ノラの最後の決断についてどう思うかを話し合うんですよ、このシーンがとにかく活気に溢れていてまぶしくて、見ていてすごく心が高ぶって楽しかったんです。どこにもあてのない女性が家を飛び出して生きていけるかとか、子供だけでも連れていくべきだとか、お金だけならなんとかなるけど、それはノラが望んだ人生なの?とか。女性の自由を求める同志たちのその話し合いに参加するようにほうほう〜と聞いていたんですけど、伊藤野枝は、正しい決断だったと、一歩を踏み出したことが重要だと言うんですよね、で、あれこれ考えるのは損得の感情である、それを断ち切ることが決断であると言ったんです。

これ今の私にはすごく響きまして、今個人的に悩んでることがあってですね、確かに思い返せば考える時って損得の感情を優先して考えているなあと、決断をする時は損得じゃなくて自分の意思でしなければならないなと気付かされました。当たり前のことなんですけど。大事なことです。

まあそして、伊藤野枝は皮肉なことにこの言葉に忠実に、ノラと同じ決断を後々してしまうことになるんです。この物語の登場人物達は本当に自分の言葉に忠実で、ストーリーが進むにつれそれが仇となったり助けとなったり様々でとても見応えがありました。

 

女性の自由や言論の自由が許されなかったこの時代に学ぶこともあれば、今も何も変わらない、共感できることも沢山ありました。この時代に男性と女性の存在を分けて話すのはナンセンスかもしれませんが、女性としてあるべき姿はどうな姿だろう。考えさせられます。なぜか物語の節で出てくるリンゴは印象的で忘れられません。

後自分の勉強不足が目立ちました。

 

役者としても、女性としても見てよかったので皆さん見てください。ね。

長々とすみませんでございました。