Eテレ生活

最近、Eテレ生活を始めました。昔はかぶりつくようにEテレを見まくっていたのに、まっっったく見なくなったことに気づいて、今見るとどんな感じだろうと思ってEテレ生活を始めてみました。

すっごく面白いです。昔大好きだったピタゴラスイッチもまだしっかりやってたし、がんこちゃんだってまだやってた。がんこちゃんって口を動かすのはきっと人形本体にパペットマペットみたいにに手を入れてるんだろうけど、人形の両手は別々の動きをしてて、ってなると動かすのに人手が3本いるから一体につき2人の人が必要で、じゃあ一気に6体とか出てるシーンはあの小さな舞台の下に大人が12人も、、??なんで考えたりして。不意に流れてきたみんなのうたでしんみりして泣いてしまったり、初めておしり探偵を見たり、英会話を学んだり、

、、とにかく今見るとめちゃくちゃ面白いです。educationの略でEテレだそうですが、決して子供向けではなく、大人の私たちが気づくべき事が沢山伝えられている気がします。

 

夜の番組で、地球ドラマチックという番組があったんですが、イベリア半島大自然という特集をやっていました。昔からダーウィンが来たなどの動物や自然を取り上げる番組は好きだったんですが、なんだか、久しぶりに動物を見た気がしました。思い返せば、動物園なんてもう何年も行ってないし、一人暮らしで飼ってた猫にも会えないし、こんな風に野生動物を取り上げた番組や動画も(猫動画はほぼ毎日見てる)ほとんど見てないなと思いました。すっごく細かいキノコの胞子や、羊の死体を奪い合うタカと狐、枝にとまったトンボを食べるカエル、カエルを狙う鳥、木の中の幼虫、放牧された豚、喧嘩する子どものオオヤマネコ、とにかくいろんな動物達の映像が次々も流れ、その動物の習性や特徴を淡々と説明していく。どの瞬間も息を呑むような瞬間ばかりで同じ地球で起こり続けている物語だとは信じられませんでした。特に記憶に残ったのは、ツノをぶつけ合って闘うアカシカ達です。首やその近くはぶつかったツノのせいで傷だらけで、ツノが折れても戦い続けていましたが驚いたのはその表情。人間も怒り狂った人を絵で描くと頭に血管が浮き出て、目は見開いて充血し、歯を食いしばっているなどでしょうか、まさにそれだったんですよ、ものすごい剣幕で目を充血させ命がけで闘う姿は人間と通ずるものもあるなと思いました。私の演劇の先生は、「役作りをする時その役をまず動物に例える」と言います。なんだかその意味がわかった気がしました。人間は命をかけて何かを守る瞬間はそうないと思いますが、きっとそれに似た瞬間に迫るのが演劇なのかもしれませんね、なんだか勉強になりました。

ガンバレ。

さらにお久しぶりです。

世の中の状況は一向に良くならず、目まぐるしくも世間が変わっていく様子をただ部外者の様に見ているだけの私です。

 

個人的にはかなり苦しい1ヶ月でした。というのも、とても好きだった恋人とお別れし、その矢先に緊急事態宣言。こんな時に1人の時間が長くなり、とにかくバイタリティが欠落しまくりました。何をしてても集中できず、何をしても面白くない。でもそんな自分に嫌気がさしてまた何か始めようとするんだけどこれまた続かない。そしてまた自己嫌悪。誰もが経験したことあるであろう負のループにハマってしまってました。

 

やはり恋愛というのは恐ろしいもので、本当に世界が180度変わってしまいますよね。相手のちょっとした言葉に信じられないくらい元気を貰ったり、夢が壊れたり絶望したり。そんな風になってしまう自分は別に嫌いではないですし、そんなに心が動くことはとても誇らしいとさえ思います。でもやっぱり大人になるにつれそれは許されなくなっていきます。たかが恋で。と。嘆いてる暇はないぞと。まあ、ですよねぇ。後悔は全くないはずなのに、どこかモヤモヤしてず〜っと視界に霧が立ち込めているようです。焦る日々です。がんばれ世界中の恋多き大人たち。

 

 

 

 

お久しぶりです。

丸一ヶ月空きました。

この一ヶ月はほとんど毎日、舞台「世界でいちばんやかましい音」の稽古で非常に充実した日々を送っていました。そして初日が終わって家に帰ってきて寝る前にこれを書いている訳です。

最近感じた事といえば、、、。やばい。全然出てこない。一ヶ月前はあんなに毎日書く事が沢山出てきて色んなことを感じていたのに、なんで今何も出てこないんだろう。

 

 

きっと意識して生活しないとダメなんですよね、今日は何書こうかな〜って考えてるから感じることもあったんじゃないかと。稽古の中で学んだこと感じたことはもちろん沢山ありますが、それは人から意識的に貰ったものであって受け身になってしまってて、すっかり何もないところへ自分から何かを掴みに行くのを忘れていました。よくないですね。この一ヶ月沢山観劇したのでそれも書こうとおもいます。

今日はひとまず寝ます。

「ろくでなし啄木」を見た。

藤原竜也中村勘太郎吹石一恵の3人芝居。DVDでみました。三谷幸喜作、演出。わたしは舞台の三谷幸喜作品は去年の「大地」から2作目でした。

題名にもある通り、石川啄木のお話です。藤原さん演じる啄木と、その恋人のトミさん、啄木の友人のテツさんと3人で温泉旅行に来ているのですが紆余曲折あり啄木がその日2人の前から姿を消します。3人のそれぞれの視点からその日の真実が語られる構成で、その12年後にテツさんとトミさんが偶然再会し、その頃には亡くなってしまった啄木の像を見上げ、旅館での出来事の話をし始める所から物語は始まります。

とんでもないテンポ感と勢いで始まって追いつくのがやっと。まあもう当たり前ですけど勘九郎さんのセリフが聞きやすいのなんの、吹石さんもこれが初舞台だったそうですがさすがのさすがで2人のテンポに呑まれることなく可愛らしい女性を演じてました。

大地の時もそうだったんですけど、もちろん結末はすとんお腑に落ちるような感覚であ〜観劇した!って感じがしてスッキリするんですが、途中にとんでもないトゲが飛ばされて心に刺さってそれが最後まで、というか見終わってもしばらく取れない、苦しい、みたいなシーンが途中ありまして。今回のお芝居でいうと勘九郎さん演じるテツさんが啄木をなじるシーンです。作家を志す啄木にとって善人である事より、最低な人間である方が作家らしく、人の本当の心理をかけると思っていることを指摘し、啄木がしてきた「悪いこと」など自分が見てきた、してきた「悪いこと」には足元も及ばない、可愛いもんだ、本当の悪いことを教えてやると怒りをあらわにするんですが、ここまでどんな啄木の悪態にも笑って受け流し、どこまでもお人好しに見えたテツさんのこのセリフはあまりにもショッキングで、このお芝居を見た人は1人残らずこのシーンを忘れる事はないんじゃないかな。

善人は悪人がつくり、悪人が善人をつくる。そんな原理が世の中にあったりして。なかったりして。

 

 

おっちゃんとの電車でのできごと。

昨日、1時間くらいずっと電車に乗らないといけなくて、何故か昨日は携帯触ってたら電車酔いしちゃって気持ち悪くなってずっと前見てぼ〜っとしてたんですよ。

 

そしたらちょうど5時過ぎくらいだったので夕焼け時で、建物に反射する光を見る限り、絶対今夕陽綺麗!!ってゆう感じだったんですけどどうしても三宮から大阪方面は建物が多い街並で夕陽そのものは全然見えなかったんですよ。

なんかとんでもないものを見逃してる気がしてどうしても見たくなって1人でこう、人混みの向こう側を見るみたいにウネウネしながら夕陽の方を見てたんです。そしたら向かいで立ってたおっちゃんが、ウネウネしながら私と同じ方を見てたんですよ。きっと同じ事を考えてるんですよね、なんか勝手に親近感が湧いて。あ、私は座ってたんですけど。

結構な時間そうしてたんですけど、尼崎過ぎたくらいで3秒だけ、建物の間から、3秒だけぴかーって太陽が一瞬見えたんです。そりゃあもうほんとに沈むギリギリでめちゃくちゃきれかったんですよ。うわぁ〜って言っちゃうくらい。そしたら次の瞬間、そのおっちゃんがマスク越しでもわかるくらいに私の方をみてニコ〜って笑ってきたんです。私もニコ〜ってしました。

なんだか、すごく得した気分になりました。

 

たまには携帯や本から顔をあげて外の景色を見ないとダメですね。毎日あんなに綺麗な夕陽がほんとは見れるのにあえて見ないなんてもったいないなって思いました。

「ブルーストッキングの女たち」を観た。

青年座の舞台、「ブルーストッキングの女たち」を観ました。とにかくこれは劇場で見たかったなあと、登場人物達の熱量も役者の方々の熱量もすごくてとにかくエネルギッシュな舞台でした。

 

明治の終わり、女性の解放と自由を求め社会に立ち向かう女性達と、その周りの人々の物語でした。平塚らいてうらが立ち上げた「青鞜社」に九州から彼女を慕い上京してきた伊藤野枝がやってくるところから物語は始まるんですけどね、あ、「青鞜」ってゆうのは、「ブルーストッキング」の和訳で、英国で生まれたんですけどなんですけどまあ、女性の地位向上のシンボルのようなものですね、ってゆうのが由来だそうで。

 

心に残るシーンは山ほどあるんですけど、特に覚えているのは割と冒頭です。

劇中で、青鞜社の面々が見に行った、イプセンの「人形の家」の一部がそのまま劇中劇として上演されるんですよ。人形の家のお芝居も初めて見たもんですからそれも面白くて見入ってしまったんですけど、その後、登場人物達が、ノラの最後の決断についてどう思うかを話し合うんですよ、このシーンがとにかく活気に溢れていてまぶしくて、見ていてすごく心が高ぶって楽しかったんです。どこにもあてのない女性が家を飛び出して生きていけるかとか、子供だけでも連れていくべきだとか、お金だけならなんとかなるけど、それはノラが望んだ人生なの?とか。女性の自由を求める同志たちのその話し合いに参加するようにほうほう〜と聞いていたんですけど、伊藤野枝は、正しい決断だったと、一歩を踏み出したことが重要だと言うんですよね、で、あれこれ考えるのは損得の感情である、それを断ち切ることが決断であると言ったんです。

これ今の私にはすごく響きまして、今個人的に悩んでることがあってですね、確かに思い返せば考える時って損得の感情を優先して考えているなあと、決断をする時は損得じゃなくて自分の意思でしなければならないなと気付かされました。当たり前のことなんですけど。大事なことです。

まあそして、伊藤野枝は皮肉なことにこの言葉に忠実に、ノラと同じ決断を後々してしまうことになるんです。この物語の登場人物達は本当に自分の言葉に忠実で、ストーリーが進むにつれそれが仇となったり助けとなったり様々でとても見応えがありました。

 

女性の自由や言論の自由が許されなかったこの時代に学ぶこともあれば、今も何も変わらない、共感できることも沢山ありました。この時代に男性と女性の存在を分けて話すのはナンセンスかもしれませんが、女性としてあるべき姿はどうな姿だろう。考えさせられます。なぜか物語の節で出てくるリンゴは印象的で忘れられません。

後自分の勉強不足が目立ちました。

 

役者としても、女性としても見てよかったので皆さん見てください。ね。

長々とすみませんでございました。

なんとなく憂鬱な朝、なんで?

なんの夢を見たのかも覚えてないけど、起きたらなんとなあく悲しくて憂鬱な時ってないですか???

 

あれ、なんでなんですか?

 

本当に原因わからんから、気分を晴れさせようにもなにしてもどうも晴れなくて、すでに憂鬱なもんだからちょっと気になる事があったらどんどん考えすぎて憂鬱が進行していくみたいな。

 

毎朝腹ペコで起きるけどその日はお腹も空いてなくて。

なんですか?2ヶ月に一回くらい訪れる朝の憂鬱。

今日はそれだけです。ただ、なに?って言う気持ちを書きました。